四月の図書館

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津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー』

前回ブログを書いてからもう5ヶ月も経っていて本当に何もしていないのに時間が経つのが早すぎる。この間にあったことといえば引越しをしたことくらい。

前のアパートから徒歩10分ほどのところに移動しただけなので、特に周りの景色が大きく変化するわけでも路線が変わるわけでもないので新鮮味はあまりないですね。部屋の間取りもほぼ同じだし。

 

この引越しでお金をかなり出費したので、いい機会だし物を減らす目的とお小遣い稼ぎのためにCDを大量に売った。150枚くらいかなぁ。

上京してから田舎では考えられない品揃えの良さとアングラな世界に足を踏み入れた感でディスクユニオンで大量に買ったCDたち(本当にアングラな人はディスクユニオンに行くのだろうか)をほとんど売ってしまった。

中学1年生の時の期末テストか何かで50位以内に入れたら買ってやるって父親に言われて(確か最初の順位が100位以下くらいだったバス)、買ってもらい現在まで使い続けていたCDコンポも捨ててしまいました。

売るものと残すものを選ぶとき、結局残ったものは中学、高校の時に買ったものがほとんどで、大学生になってからのCDは買ってからそんなに時間が経ってないという理由で売るのをためらったものばかり。逆にいうと中、高で買ったものはどうしても思入れがあって手放せないのです。ノスタルジーが邪魔してくるのだ。

去年めちゃくちゃハマってずっと聞いていたnever young beachよりも今じゃ全然聞かないBAWDIESのCDは未だに手元にあるということです。

CDショップでバイトとかして音楽にちょっと詳しくなったような気がしてたんですが、どうしたってやっぱり10代の頃の熱量には敵わないなぁと実感。

 この前ふと最寄駅の本屋に入ったら『ミュージック・ブレス・ユー』という小説の文庫本が出てた。

 

この小説は中学3年の時に読んだのですが、その時に大変感銘というか、衝撃というか、とにかくこの主人公のアザミという少女がほぼ自分だったので、何回も繰り返し読んだ思い出の一冊なのです。高校受験のときに試験会場にお守り、というか緊張を和らげるための安定剤として持って行ったほどです。

 友達は少なくて勉強ができなくて、男子生徒からはからっきしモテなくて、音楽だけが心のよりどころ。

このアザミという少女(高校三年生)の音楽に対する考え方というか、それに対するモチベーションがとにかく人並みではない。一番分かりやすい事例を出すと、毎日、その日に聞いた曲名をノートにメモして五段階の星マークで評価をつけているのです。

もちろん同じ曲を書き込むことは何度もあって、聞いたときの気分やその日の出来事によって曲の感じ方も変わってくるのだと彼女は言う。

本当に馬鹿みたいで恥ずかしい作業であるこのノートを唯一の友達のチユキに見せたところ「一種の病気やな」的な言葉をもらっていた。(今手元にこの本がないので正確なセリフは分かりません)

アザミの高校生活と音楽の話のみで構成させている内容で大きな展開などな特になく、だらだらと物語は続いていきます。

親友のチユキが言うようにアザミにとって音楽は現実からトリップできるドラックのようなもので、それをやっている間だけは、アザミは西海岸かどっかの浜辺で女の子に振られたみたいな顔をしてくしゃくしゃのハーフパンツのポケットに手を突っ込みながらふてくされて歩いているの少年になった気分になるのだ。(こんな表現があった)。

「ここじゃないどこか」にトリップできるというのは割と多くの人が経験があると思うのですが、「自分じゃない誰か」になる(なりたい)というのは、たぶんアザミのような(そして私のような)自分に対してコンプレックスを抱えた人じゃないと陥らない感覚なのではないかと思う。大好きな音楽を聴いている時ですら他人になりたいなんて思うってかなりネガティブなんじゃないかって最近になって気がついた。

音楽に頼らなきゃどうしようもないくらい現実の世界がつらいとか、生きていくもの大変な毎日ではなくて、でも小さい悩みや不安は常にあって、大きな障害になるほど周りと歩幅を合わせて進めないわけではない(現に大学進学するような高校に入学できているしパン屋のバイトもしている)けれども、「普通」よりは確実に劣っていて、何をするにも不器用。それがこの主人公のアザミという人物なのですが、音楽やカルチャーが好きな、たぶんいわゆるサブカルっていわれる人々(自分も含めて)はこれに当てはまっている人が大多数なんじゃないかって思う。

他人から見たら全然普通なのに、自分だけはどこかみんなと違うんじゃないかっていう不安と、反対に個性的な自分というやっかいな自我。そのめんどくさい沼から抜け出せない私のような人間にグサッと刺さるのがアザミの生き方なのです。

自分の写し鏡のようで恥ずかしくて、目を伏せたくなるくらいのオタクっぷり。

でもこれほどのエネルギーってやっぱり10代のときじゃないと出せないのだなって、今回自分の持っているCDとこの小説を思い出して改めて実感した。

この10代の恥ずかしさに伴う煌めきや美しさを表現してる音楽や映画や小説にわけもなく泣いてしまうようになって、抗ってはいても自分も大人になったんだなって気がついたし、悪くもないなと思うようになった。